解説

ここに引用した資料は、スタンフォード大学の社交ダンスのサイトにあったものです。
 
 

ビクター・シルベスターを含む5人のダンス教師がISTDから依頼を受け、英国スタイルのボールルームダンスの標準化に着手したのが1922年、達成したのが1927年です。

標準化された内容については、1932年に出版されたTheory and Technique of Ballroom Dancing(ビクター・シルベスター著)にその一部が紹介されていますが、そのFAQで見られるように、CBM、CBMP、ボディ・スウェイなどの用語とフィガー名は記載されてはいますが、それ以上のことはあまり書かれておらず、フィガーも多くはありません。

そのため、その後英国スタイルのボールルームダンスがどのようにして現代のようなインターナショナル・スタイルのボールルームダンスに変わっていったのかについては日本ではあまり紹介されていません。

この資料では、現代に至るまでのソシアルダンスと競技ダンスとの関係、ボディ・スウェイが取り入れられていった過程、骨盤(日本語では腰と言い換えたほうがわかりやすいかも)でのボディ・コンタクトが取り入れられていった過程、複雑なフィガーが取り入れられるようになった理由、誇張されたムーブメントが取り入れられるようになってきた理由などが、豊富な資料を元に記載されています。
それらの根拠とした資料名なども脚注に書かれているため、信頼性があると思われましたので、和訳してご紹介します。

なお、標準化されたダンステクニックの維持やダンス教師側の利益を守ろうとするボールルームダンス協会と、それらに縛られたくないソシアルダンサー側との確執が垣間見えますが、日本のボールルームダンスの現状と比べると、大変興味深いものがあります。

 


 The Evolution of English Ballroom Dance Style
英国のボールルームダンスのスタイルの進化
 
In England, partnered dancing is done in a wide variety of styles, both informal and formal, but the most visible and promoted form is what the English call “International Style” ballroom dance, which is based on competition ballroom (DanceSport) technique and styling. This page is a brief look at how and why this style evolved.
英国では、パートナーダンスは、インフォーマルでもフォーマルでも多種多様なスタイルで行われているが、最も目に見える形でプロモーションされるのは、英国民が、「インターナショナルスタイル」ボールルームダンスと呼ぶものであり、それは、競技ダンス(DanceSport)の技術とスタイルに基いている。このページでは、どのように、なぜこのスタイルが進化したかを簡単に見ていく。
 
 
Early competition style
初期の競技スタイル

Small clubs in London began to hold competitions of a single dance form, like foxtrot or tango, in the early 1920s. Then the first English ballroom dance competition in combined forms premiered in March 1922. (1)
1920年代初めに、ロンドンの小さなクラブ(複数の)がフォックストロットやタンゴのような単一のダンスの競技会の開催を始めた。その後、1922年3月に、いくつかのダンスを組み合わせた第1回英国ボールルームダンス競技会が開催された。(脚注1)

Early English competition ballroom style was easy-going, natural and understated. To quote from the previous page, “All movement is easy, unaffected, which can be so easily ruined by exaggeration. The best dancers are the quietest; they do not flourish their prowess.” (2)

初期の英国ボールルームダンスのスタイルは、楽で自然で控えめだった。前のページから引用すると、「すべての動きは、容易で、わざとらしさがなく、おおげさな動きをしてしまうと台無しになってしまうようなものであり、最高のダンサーは最も静かであり、彼らは優れた能力を見せびらかすことはしない」。(脚注2)

Here is an “action photo” (i.e., not posed) of the first British professional ballroom Champions, Maxwell Stewart and Pat Sykes. Note the relaxed frame, without any exaggeration or stiffness. (3)

ここに、最初の英国のプロのボールルームチャンピオン、マックスウェル・スチュワートとパット・サイクスの「アクション写真」(つまり、ポーズされていない)がある。 リラックスしたフレームに注意すること。誇張表現や堅苦しさはない。(脚注3)

Social dance focus
ソシアルダンスの焦点

Although the various ballroom dance Associations held competitions, their primary focus remained on the informal social dancers during the 1920s. In 1929, all of the Associations gathered for the first time, in the Great Conference, to gain consensus on what ballroom dance in England should be, both in steps and attitude. Philip J. S. Richardson was the Chairman of the Great Conference. Here is his report:
当時様々なボールルームダンス協会が競技会を開催したが、彼らの主な焦点は1920年代の私的なソーシャルダンサーにとどまっていた。 1929年に、初めて、すべての団体が大会に出席し、英国におけるボールルームダンスのステップと考え方において、どうあるべきかについてコンセンサスを得た。 フィリップ・J・リチャードソンは、大会の議長を務めた。 彼の報告は次のとおりであった。

 The discussion covered a very wide range of subjects, but by far the most important was the decision that the first aim of the profession should be to cater for the general dancer and not the expert. For this reason the basic steps of the standard dances and of any new dance should be kept as simple as possible. (4)
ディスカッションは非常に幅広いテーマをカバーしていましたが、最も重要なのは、ここでの表明の第一の目的は、一般のダンサーのためのものであり、専門家のものではないという決定でした。 このため、標準的なダンスと新しいダンスの基本的なステップは、できるだけシンプルに保つ必要があります。」(脚注4)

 The Great Conference also decided to standardize ballroom dance music and tempos. That story is on this separate page. If you enjoy adapting to a wide range of musicality in your dancing, you’ll find the 1930s schism on that topic fascinating.
大会では、ボールルームダンスの音楽とテンポを標準化することも決定された。 その話はこの別のページにある。 あなたがダンスをするうえで幅広い音楽性に適応するのを楽しむなら、そのトピックに関する1930年代の分化が魅力的であることがわかるだろう。

 

1930s shift of emphasis to professionals and competitors
1930年代におけるプロと競技選手への重点のシフト

In the next decade Richardson reported that, “the leading teachers were inclined to be a little too ‘finicky’. Mountains were made out of molehills and trivial departures from what they taught regarded as heinous offenses.” (5) The gulf between social and competition dancers began to widen.
リチャードソン氏は、次の10年間で、「先導的な教師たちは、あまりにも細かすぎる傾向がある。丘陵地から山々が作られていき、彼らが教えたことからの些細な逸脱は許しがたい罪だとみなされるようになった。」と報告している。(脚注5)
ソーシャルダンサーと競技ダンサーとの間の溝が広がり始めた。

By the end of the 1930s, the ballroom dance Associations had shifted their focus from the social dancers to the professionals and competitors. For example, one of General Resolutions was that “dance hall managers should not allow any partner to give a lesson unless that partner were a qualified teacher,” taking a “ballroom examination of one of the Teachers’ Associations.” (6) This was referring to the informal dance halls of London, not just the competitions. A social dancer was not allowed to show his or her partner new steps unless he or she was a qualified teacher. Or rather, that was the wish of the ballroom dance Associations. The dancers themselves did not heed this request, and dance hall managers didn’t enforce it.
1930年代の終わりには、複数のボールルームダンス協会は、ソーシャルダンサーからプロフェッショナルと競技選手に焦点を移した。たとえば、一般的決議の一つは「ダンスホールのマネージャーは、あるパートナーが教師協会の一つのボールルーム試験に合格し、資格を持った教師でなければ、そのパートナーにレッスンを許可してはいけない。」(脚注6)
これは、単に競技にたいしてだけでなく、ロンドンの私的なダンスホールを指していた。ソーシャルダンサーは、資格のある先生でなければ、自分のパートナーに新しいステップを見せることができなかった。むしろ、それはボールルームダンス協会の希望だった。ダンサー自身はこの要請に耳を傾けず、ダンスホールマネージャー達はそれを強制しなかった。

 

Body sway enters the English waltz
ボディ・スウェイが英国のワルツに取り入れられる
 
In the 19th century, European ballroom dances either had a vertical body carriage, as in the waltz, or they leaned toward the direction of travel, as in the polka, shown here.

19世紀には、ヨーロッパのボールルームダンスは、ワルツのように垂直にボディを保ちながら移動するか、あるいは、ここに示されているポルカのように移動方向に向かって傾けていた。

Counter-sway, where the body inclined against the direction of travel, with the hip leading the direction of travel, is widely acknowledged to be an African influence, and entered Western ballroom dancing through three different African populations.
ボディを移動方向と反対に傾け、腰を移動方向に先行させるカウンタースウェイは、アフリカの影響であると広く認識されており、アフリカの3つの異なった人口を通して西洋のボールルームのダンスに入ってきた。

 1) African American counter-sway was first, appearing in some Ragtime Era dances at the turn of the century. This remained a hotly debated body motion in the U.S. for over a half-century, as evidenced by Dick Clark’s ban of any hip movement on his 1950s American Bandstand show.
1)アフリカ系アメリカ人のカウンタースウェイが最初であり、世紀の変わり目にラグタイム時代のダンスの一部に登場した。ディック・クラークの1950年代アメリカン・バンドスタンド・ショーでのヒップ・ムーブメントの禁止によって証明されたように、これは半世紀にわたって米国で熱く議論されたボディの動きであった。

 2) Afro-Brazilian counter-sway came next, as a prominent feature in the Brazilian Maxixe, which was introduced to Paris in 1905. The Maxixe (see a description here) was essentially Africanized polka. European immigrants had brought their polka to Brazil, where the population of former slaves modified it with their counter-sway. Here are Vernon and Irene Castle dancing the Maxixe in their 1915 film The Whirl of Life. The counter-sway is clearly seen in the turning two-step.
2)アフリカ系ブラジル人達のカウンタースウェイは、1905年にパリに紹介された、ブラジルのMaxixe(マシーシュ・ダンス)の人目を引く特徴として次にやって来た。マシーシュ(ここでの説明を参照)は本質的にアフリカン化されたポルカであった。ヨーロッパの移民は、彼らのポルカをブラジルにもたらしたが、そこではそれ以前につれてこられた奴隷たちがカウンタースウェイでもって修正したものである。これはヴァーノン&アイリーン・キャッスルが1915年の映画The Whirl of LifeでMaxixeを踊っている。カウンタースウェイは、回転するツーステップ・ダンスではっきりと見られる。

French social dancers immediately adapted the Maxixe counter-sway into the way they danced the American One-Step, and still dance it with counter-sway to this day. But English and American ballroom dancers continued to execute the waltz and other ballroom dances vertically.

フランスのソーシャルダンサーたちは、すぐにマシーシュのカウンタースウェイをアメリカン・ワンステップ・ダンスの踊り方に適応させたが、それでも今日までカウンタースウェイで踊られている。しかし、英国とアメリカのボールルームダンサーたちは、ボディを垂直にしてワルツや他のボールルームダンスを踊ることを続けた。

3) Next came Afro-Cuban counter-sway, in the Rumba, which became quite popular in the U.S. in 1931. In England the Rumba was observed from a distance, as “what they’re dancing in New York,” until a concerted effort was made to adopt the Rumba into English ballroom dancing in 1934. The August 1934 issue of Dancing Times magazine featured no less than six articles about Rumba, which mentioned the “side sway of the body.” (7) Another article stated, “In the Anglo-Saxon mind the idea of ‘snaky hips’ is inextricably bound up with the Rumba, and quite rightly, since in the palm groves of Camaguey it is the rolling lubricous hips which dance.” (8)
3)次にやって来たのは、ルンバのなかのアフロ・キューバンスタイルのカウンタースウェイであり、1931年に米国で非常に人気が高まった。英国ではルンバは、1934年にルンバを英国のボールルームダンスに迎え入れる努力がなされるまでは、「ニューヨークでは一体何を踊っているのか」というように距離を置いて観察されていた。ダンシングタイムズ紙の1934年8月号では、ルンバに関する記事は6つもなかったが、それらの記事は「ボディの横スウェイ」に言及したものであった。(脚注7)
別な記事では、アングローサクソン人の間では、「(蛇のように)腰をくねらす」という考えはルンバと密接に結びついており、そしてすぐにそれ(ルンバ)はカマグエイ(キューバの都市名)のヤシの木立で、下品に腰を回して踊るということに結びつく。(脚注8)」と述べている。

 Later that same month, the Rumba was finally adopted and standardized by the Official Board of Ballroom Dancing. The counter-sway in the official version was smooth: “These movements or figures are performed with a gentle sway of the hips.” (9) The standardized Rumba was described in the October 1934 issue of Dancing Times. The basic step of the Rumba was likened to the Waltz:
The basic steps are very similar in construction to those in the “square” formation movement sometimes used in teaching a Valse. The learner should practice the square Valse movement — forward with the left, to the side with the right, close the left to the right (one bar), back with the right, left to the side, close the right to the left (one bar). There are four counts to the bar in Rumba music, but only three in the Valse. (10)
In the same issue Victor Silvester reported that, “There has been no change in the Waltz in the past twelve months.” (11) i.e., The waltz was still being danced vertically in 1934, without any sway.

その月の後半に、ルンバは最終的に社交ダンスの公式委員会によって採択され、標準化された。
正式版のカウンタースウェイはスムーズだった:「これらの動きや姿勢は、穏やかな腰のスウェイで行われる。(脚注9)」標準化されたルンバは1934年10月のDancing Times号に掲載された。ルンバの基本的なステップは、ワルツに似せられた:
基本的なステップは、Valseを教える際に時々使用される「スクエア」を形づくるムーブメントの中のステップと基本的な手順が非常に似ていた。学習者は、正方形のValseの動きを練習する必要がある – 左を前方に、右を横に、左を右に(1小節)、後ろを右に、左を左に、右を近くに(1小節)ルンバ音楽の小節には4つのカウントがあるが、Valseには3つしかない。(脚注10)この件に関しては、ビクター・シルベスターは、「過去12ヶ月間にワルツに変化はなかった」と報告している(脚注11)。すなわち、1934年にワルツはまだスウェイをせずに垂直に踊られていたということである。

That was soon to change. The Rumba became very popular in England in 1935, and since the Rumba step was similar to the Waltz, it was perhaps inevitable that Rumba counter-sway would be added to the English ballroom Waltz. The following year, the 1936 edition of Victor Silvester’s Modern Ballroom Dancing, the definitive handbook for English ballroom dancing, featured this significant modification of the Waltz: “Body sway. Sway slightly to the L on 2 and 3, and slightly to the R on 5 and 6.”12 (Consult the Rumba “square” above to correlate the steps that go with those counts.) During the 1930s this body sway was recognized as as African influence, but today British ballroom dancers prefer to call it a “Latin” influence, as African-American swing (jive) is categorized as a Latin dance.
それはすぐに変わることになった。ルンバは1935年に英国で非常に普及し、ルンバのステップはワルツと似ていたため、ルンバのカウンタースウェイが英国のボールルームワルツに加えられることは避けられなかった。翌年、Victor SilvesterのModern Ballroom Dancing(英国のボールルームダンスのための決定的な手引き)の1936年版では、ワルツのこの重要な変更が特集された: “2と3では左にわずかにスウェイし、5と6では右にわずかにスウェイすること” (脚注12)。(ルンバ「スクエア」を参照すること)1930年代、このボディスウェイはアフリカの影響を受けていると認識されたが、今日の英国のボールルームのダンサーはそれをラテンの影響を受けているというほうを好むようになったので、同じように「アフロアメリカンのスイング(ジャイブ)はラテンダンスに分類された。

 
Pelvis contact is adopted

骨盤接触が採用される

A firm body contact at the pelvis also appeared in British competition-style waltzing during the 1930s. A battle had erupted among English competitors over the new “Staccato” style of tango, versus the old style, with the new style favoring quick snap-turns of the head (Richardson disapproved, “wondering which lady would get a crick in her neck first”)13 and a firm body connection at the pelvis.
骨盤のところでしっかりボディを接触させることは、1930年代に英国の競技スタイルのワルツ回転にも登場した。古いスタイルに対して、新しい「スタッカート」スタイルのタンゴ、すなわちヘッドの素早い返しと骨盤でのしっかりしたボディコンタクトを好むタンゴについては、英国の競技選手の間で論争が巻き起こった。リチャードソン氏は「どの女性が最初に首を痛めるのだろうか?」として非難した(脚注13)。

As the dust of the debate settled, both ended up being adopted as the new English style of tango. Then just as the waltz borrowed body sway from the Rumba, English waltzing borrowed hip contact from the tango.
この両方の議論が落ち着くにつれ、両方ともタンゴの新しい英国スタイルとして採用されることになった。 そして、ワルツが、ルンバからボディスウェイを取り入れたのと同じように、英国のワルツ回転はタンゴからヒップコンタクトを取り入れた。
 
 
Complexity enters the English waltz
複雑さが英国のワルツにもたらされた
 
Victor Silvester described his waltzing when he first became Champion in the 1920s: “I recall how simple our waltz was, just a natural and reverse turn and the forward and backward changes. No variations of any description.” However by 1935, Richardson, Chairman of the Judges in most competitions, was complaining that, “Some couples at times appeared to me to introduce so many variations into their Waltz – and in many instances variations that belong to dances in another time – that the spirit of the Waltz was lost. The cause of this is obviously the feeling that if they do ordinary things they may not be noticed by the Judges.”14 Teachers emphasized that waltzing must travel in Line of Dance, but the complex variations continued to win at the competitions, changing the English waltz into a series of complex steps, syncopations and changes of direction.
ビクター・シルベスターは、1920年代に初めてチャンピオンになったときの彼のワルツを「私はワルツがいかにシンプルであったかを想起しています。ナチュラルターンとリバースターンと前進と後退チェンジです。バリエーションはありませんでした。」と説明した。

しかし、1935年までほとんどの競技会で審判会長をつとめたリチャードソン(Richardson)は、不満を述べていた。「時々、ワルツには非常に多くのバリエーションを持ち込むカップルがいます。 ワルツの精神は失われました。これの原因は明らかに、彼らが普通のことをやっていたならば、審査員に気づいてもらえないかもしれないという思いです。」(脚注14) 教師達はワルツはLODに沿って行わなければならないと強調したが、複雑なバリエーションは競技会で勝ち続け、英国のワルツを一連の複雑なステップ、シンコペーション、方向の変化に変えていった。

 
 
A more expansive style
より広範なスタイル

In the 1920s the preferred English competition style was natural and understated, as quoted at the top of this page. Then ballroom competitors began to introduce broader and more exaggerated movements into their dancing during the 1930s. This happened in three stages, for three different reasons.

1920年代には、このページの上部に引用されているように、好ましい英国の競技スタイルは自然で控えめであった。その後、ボールルームの競技選手たちは、1930年代にはより広範で誇張された動きをダンスに導入し始めた。これは3つの異なる理由で3つの段階で発生した。

The first phase didn’t come from the Associations, or from the judge’s preferences. It came from audience reaction. One of the first examples was with the competition ballroom tango. To quote Richardson again, since he was one of the judges at that time, “Competitors found that these exaggerated movements, particularly a sudden turn of the head when changing direction [in the tango], earned the plaudits of the spectators, if not the marks of the judges. The quickstep was also passing through a phase of eccentricity largely caused by the desire of competitors to win approval from the crowd.”15 These exaggerations were sometimes condemned by the judges at first, but the Associations became acclimated to the changes, and they eventually became the new style.
第1段階は、協会からでもなく、また審査員の好みから来たわけでもなかった。それは観客の反応から来た。最初の例の1つは、競技会のボールルームタンゴであった。リチャードソンを再び引用すると、彼は当時の審査員の一人であったため、「競技者は、これらの誇張した動き、特にタンゴで方向を変えたときの頭のすばやい回転で、審査員からのマークがつかないとしても、観客の賞賛を得たのである。クイックステップも、大衆の承認を勝ち取るための競技選手の強い思いに起因するeccentricity(意味不明)の過程を通過していた。このような誇張は、当初は審査員によって非難されることもあったが、協会はそれらの変革に慣れるようになり、それらは結局新しいスタイルに変わっていった。

Second reason for a more expansive style
より広範なスタイルの第2の理由

In the January 1934 Dancing Times, E. Murray Bumstead commented on the space required to perform the standardized routines: “The real difficulty is that the dances which have been taught by the teachers during the last ten years, and have been brought to perfection mainly by competitions, require plenty of space and are therefore totally unsuitable for the smaller dance floors provided at the hotels, etc.” (16)

1934年1月のダンシングタイムズでは、E. Murray Bumsteadが標準化されたルーチンを実行するために必要なスペースについてコメントしました。「実際の難しさは、過去10年間に教師によって教えられ、さらに主として競技会によって完成に導かれたそれらのダンスは十分なスペースが必要なため、ホテルなどで提供される小さなダンスフロアにはまったく適していません。」(脚注16)

Richardson agreed, in a following issue of the magazine: “Vast floors, such as that at Blackpool, seem to me to demand that the dancers should be very broad in their work, and to favor the tall couples who are at once conspicuous. The natty bantam pair with subtle movements and scrupulously accurate technique are apt to be overlooked on a floor space of twenty thousand square feet.”17
リチャードソン氏は次号の雑誌で次のように述べています。「ブラックプールのような広大なフロアが、ダンサー達が非常に広い範囲を使って踊るようにとか、すぐに目立つ背の高いカップルが好ましいといったことを求めることになるようです。繊細な動きと細かい正確なテクニックを備えた素朴な小柄なペアは、2万平方フィートの床面積では見逃されやすい」。

 The third phase occurred when competitions introduced the format of the elimination round, where the competition began with a fairly crowded floor, filled with all of the competitors dancing at once. The judges thinned the crowd down to a few finalists – those to be individually evaluated. This change in competition format resulted in a dramatic change in the look of competitive ballroom dance. The dancers had to perform far more expansive movements, to stand out from the crowd. Extreme, exaggerated movements and costuming were a matter of survival, either outshining the others or being quickly eliminated.
第3段階は、競技選手全員が一度に踊ることで競技場がかなり混雑した状態で競技会を開催する場合のために排除ラウンドの形式を競技会が導入したときに発生した。その場合審査員は競技選手たちを別々に評価できるようになるまで何組かのファイナリスト達を間引いて行った。この競技形式における変化は、ボールルームダンスの見た目に劇的な変化をもたらした。ダンサーは混雑した競技選手たちの中で目立つように、はるかに広範な動きをしなければならなかった。極端で誇張された動きや衣装は、生き残りの問題すなわち他のカップルにより輝いているかすぐにはじき出されるかの問題だった。

 To this day, this extremely expansive style remains a distinctive difference between social and competitive ballroom dance. If you weren’t directed to this page from The Three Worlds of Ballroom Dance, you can read more about the differences on that page.
今日まで、この非常に広範なスタイルは、ソシアルダンスと競技ダンスとの間にはっきりとした違いを残している。あなたがその「ボールルームダンスの3つの世界」のページからこのページに飛んでこなかったのならば、そのページで、違いについてもっと読むことができる。

 
Putting competition style in perspective
大局から見た競技スタイル

This page describes the evolution of English competition-based “International Style” ballroom dance, for those who are wondering how and why it developed its unique look. However this style was only danced by a small percentage of the English. Most of the English population did informal social ballroom dancing.

このページでは、英国の競技の原理に基づいた インターナショナルスタイルのボールルームダンスの進化について説明している。その理由は、そのダンスのユニークな外見をいかにしてかつなぜ作り出したか考えているる人のためである。しかし、このスタイルは英国のほんの一部でしか踊られなかった。英国の人口のほとんどは、私的なソシアルダンスを踊っていた。

This fact was reported in The Dancing Times magazine throughout the 1920s, 30s and 40s, often referring to the informal social dancing majority as the “big public,” which Richardson explained, “I mean not the comparatively few competition fans.”18 That same year, 1934, Champion Alex Moore wrote, “Most people who learn to dance have no desire to become expert dancers. Therefore they are more likely to go to the teacher who can impress them with the simplicity of their methods than the one who makes the mistake of overburdening the pupil with their knowledge of technique.”19
この事実は1920年代、30年代、40年代を通じてThe Dancing Times誌に報告され、多くの場合、非公式のソシアルダンスを踊る大多数のことを「大衆」と称したが、そのことをリチャードソン氏は「競技会の熱心なファンは比較的少数だからだ」と説明した。同じ年の1934年、チャンピオンのアレックス・ムーアは、次のように書いている。「踊ることを学ぶ人のほとんどは、熟練したダンサーになることを望んでいない。それゆえ、彼らは技術知識を持って生徒に負担をかけるという間違いをする者よりも、彼らの方法の単純さで感動させることができる先生に行く可能性が高い」

 What percentage of English dancers learned competition ballroom dance style? Victor Silvester estimated 1%. In 1936 The Dancing Times reported that when it came to the popularity of social dancing in England, the waltz was seen as the best indicator because it had become the most popular dance on the floor. That same year Silvester estimated that after 14 years of competitions standardizing and perfecting the new English ballroom waltz, “ninety-nine people out of a hundred do the steps that have come to be known as the old-fashioned waltz,”20 meaning the non-competitive social style.
英国のダンサーの何パーセントが競技会スタイルのダンスを学んだのか?ビクター・シルベスターは1%と推定している。 1936年、ダンシングタイムズは、英国でソーシャルダンスが人気を博したとき、ワルツはフロアで最も人気のあるダンスになったため、最高の指標と見なされた。同じ年に、シルベスターは、新しい英国のボールルームワルツを標準化され完成された14年間の競技会の後に、「100人のうち99人は、旧式のワルツとして知られるようになったダンス、すなわち非競技のソシアルダンスを踊る」(脚注20)と推定した 。

 Moreover The Dancing Times complained that the English newspapers often reported on the informal social dance scene while mostly ignoring the competition ballroom events. “It has always been a matter of regret to The Dancing Times that the importance and the possibilities of the British Ballroom Championships are not more fully recognized by the daily press of the Metropolis. We cannot expect others to recognize the importance and possibilities of an occasion which is relegated to a very brief paragraph in the leading press of the country.”21
さらにダンシングタイムズは、英国の新聞が非公式のソシアルダンスの場面を頻繁に報告し、競技会の大会のイベントをほとんど無視していると訴えていた。 「英国ボールルーム選手権の重要性と可能性が毎日のメトロポリスの報道ではそれほど認識されていないとしているダンシングタイムズがほとんど無視されていることを残念に思っています。我々は、国の主要な報道の非常に短いパラグラフでしか報道されない出来事の重要性と可能性を他の人に認識してもらうことは期待できません。」(脚注21)

 But competition ballroom dancers made up in enthusiasm what they lacked in numbers, and International Style ballroom dance and DanceSport continue to be practiced by thousands of dancers to this day.
しかし、ボールルーム競技のダンサーたちは、数の上で欠けていたものを熱狂させ、インターナショナル・スタイルボールルーム・ダンスとダンス・スポーツは、今日まで何千人ものダンサーによって練習され続けている。

 — Richard Powers

 

 脚注
 
1 Richardson, Philip J. S. (1945). A History of English Ballroom Dancing. London: Herbert Jenkins Ltd. 54.
2 Moore, Alex. “The Practical Side of Teaching.” The Dancing Times, October 1935 issue. London: The Dancing Times. 36.
3 Richardson, Philip J. S. (1945). A History of English Ballroom Dancing. London: Herbert Jenkins Ltd. 48.
4 Richardson, Philip J. S. (1945). A History of English Ballroom Dancing. London: Herbert Jenkins Ltd. 75-76.
5 Richardson, Philip J. S. (1945). A History of English Ballroom Dancing. London: Herbert Jenkins Ltd. 92.
6 Richardson, Philip J. S. (1945). A History of English Ballroom Dancing. London: Herbert Jenkins Ltd. 80.
7 Young, R. Clemson. “The Rumba in Cuba.” The Dancing Times, August 1934 issue. London: The Dancing Times. 480.
8 Rice, Cyril. “The Rumba in Spain.” The Dancing Times, August 1934 issue. London: The Dancing Times. 482.
9 Sykes, Pat (1935). Season 1935, How To Dance. London, W. Foulsham & Co Ltd. 50.
10 Mackenzie, Alec. “The Rumba.” The Dancing Times, October 1934 issue. London: The Dancing Times. 31.
11 Silvester, Victor. “The Season’s Waltz.” The Dancing Times, October 1934 issue. London: The Dancing Times. 35.
12 Silvester, Victor. (1936). Victor Silvester’s Modern Ballroom Dancing, 1936 Edition. London: Herbert Jenkins, Ltd. 70.
13 Richardson, Philip J. S. “Ballroom Notes.” The Dancing Times, March 1936 issue. London: The Dancing Times. 773.
14 Richardson, Philip J. S. “Ballroom Notes.” The Dancing Times, August 1935 issue. London: The Dancing Times. 489.
15 Geographia. (1923). The Modern Ballroom Dance Instructor. London: Geographia, Ltd. 5.
16 Richardson, Philip J. S. (1945). A History of English Ballroom Dancing. London: Herbert Jenkins Ltd. 102.
17 Bumstead, E. Murray. “Tempo and the New Dances.” The Dancing Times, January 1934 issue. London: The Dancing Times. 474.
18 Richardson, Philip J. S. “Ballroom Notes.” The Dancing Times, April 1934 issue. London: The Dancing Times. 26.
19 Richardson, Philip J. S. “Ballroom Notes.” The Dancing Times, August 1934 issue. London: The Dancing Times. 476.
20 Silvester, Victor. “The New Viennese Waltz.” The Dancing Times, September 1936 issue. London: The Dancing Times. 600.
21 Richardson, Philip J. S. “The Championships.” The Dancing Times, July 1935 issue. London: The Dancing Times. 354.