キャッスル夫妻がフォックストロットの創始者か?
現在の欧米のダンスサイトでは、ボードビリアンのハリー・フォックスがフォックストロットの創始者だという説が最も有力、というよりそれ以外の説、たとえばキャッスル夫妻が作り出したという説はどこにも見当たりません。
これに対して、日本でも、ハリー・フォックスが創始者であるという説が主流ですが、キャッスル夫妻がフォックストロットを作り出したという説も残っています。私の推測ですが、この説は、かの玉置真吉氏が著した「社交ダンス全書」(昭和23年出版)の記載を元にしていると思われます。
後のほうに、その部分を抜粋します。ここで玉置氏は、チャールス ジェー コルの著書の一節を引用しています。この著書というのはDancing Made Easyという本ですが、その46ページから47ページのところです。これも関係部分を最後に抜粋しました。
これで見られるとおり、コル氏の記載を信ずるならば、最初に「フォックストロット」という名前のついたダンスを踊っていたのは黒人だということです。ただ、続けて読んでいくと、「自分のオリジナルのフォックストロットを踊っているダンサー数人に話を聞いた結果、ヴァーノン・キャッスルがフォックストロットの創始者だと信ずる」といった記載があります。一読すると矛盾しているようにも思えますが、コル氏の言いたかったのは、
「最初フォックストロットという名前で呼ばれていたダンスを踊っていたのは黒人たちだったが、その後そのフォックストロットを1922年当時のフォックストロットにまで作り上げたのは、キャッスル氏だと信ずる」
と言うことだったのかもしれません。
玉置氏の記載では、コル氏の説をきちんと把握したうえで、なおかつ「当時に於るキャスル氏の地位、又氏が極力このダンスの伝道に努力した点から見て、フォクストロットの開祖を氏と決定することが最も穏当であらう」と述べています。
しかし、この玉置氏の記載を読んだ人が、「最初に「フォックストロット」という名前のついたダンスを踊っていたのは黒人だということです」というところを無視して、単純に、「キャッスル夫妻が開祖だ」というところだけを、引用したから、そういう説が出てきたのかもしれません。
しかし、上記のことをとりあえず脇においたとしても、本当にキャッスル夫妻がフォックストロットの創始者であるという可能性はあるのでしょうか?
tamaの独断
キャッスル夫妻は、フォックストロットの創始者ではない。
また、「極力このダンスの伝道に努力した」かどうかは疑わしい。
注
この記事をまとめた数年後に、キャッスル夫人が執筆した”My Husband”という書籍(1919年出版)を入手しました。この本は、夫妻が結婚する前のなれそめから、ダンサーとしての活動、そして墜落事故でなくなるまでの出来事を記録した回顧録です。この本を読んだ限りでは、フォックストロットを創始したとか教えたどころか、フォックストロットという言葉が出てきたのは、士官としての従軍中に部下の求めに応じて、塹壕の中でフォックストロットを教えたという個所だけでした。それからしてもこの独断を決定的に裏付けるものだと思います。

傍証1
1916年1月23日のニューヨークタイムスのThe Castles Are Coming という記事では以下のように書かれています。
Mr. and Mrs. Vernon Castles will dance together tonight at the Hippodrome concert, and it is declared that this will positively be the last appearance together of the famous team before Mr. Castle’s departure for France to glide in an aeroplane and hesitate over the German trenches. Their program will include their own versions of the waltz, fox trot, polka, maxixe, tango, and one-step.
この記事は、ヴァーノン・キャッスルが、第一次世界大戦の参戦のためフランスに向かう前の最後のステージで、彼ら自身のヴァージョンの、ワルツ、フォックストロット、ポルカ、マシーシュ、タンゴ、ワンステップを踊る予定であることを報じたものです。
つまりわざわざ彼らのヴァージョンとことわっているという一節は、彼らのヴァージョンでない、元のワルツなり、元のフォックストロットなりが、すでに存在していたということを示しています。
傍証2
ニューヨークタイムスのフォックストロットの記事を時系列的に並べてみると、キャッスル氏がワンステップ、ヘジテーションワルツ、タンゴなど当時の人気のダンスを披露した記事は沢山あるにもかかわらず、フォックストロットを踊ったということを示す記事は2件だけでした。
またキャッスル夫妻がフォックストロットを踊ったというニューヨークタイムスの最初の記事が出る前には、当時人気ダンサーだった、ジョーン・ソーヤーや、モーリスなどだけでなく、アマチュアダンサーによるフォックストロットのデモが行われたり、また学校の体育教師によるフォックストロットの講習会などが開かれたことが記事に掲載されています。
(後でこれらの裏づけとなる当時の記録のリンクを貼ります)
引用1 社交ダンス全書(玉置真吉著) 第一章 フォクストロット(前編)より
然しフォクストロットの起源については色々の説があります。一説には、
1912年メープル ハイト(女優)とマイク ドンリン(野球選手)がサンフランシスコのバーバリ コーストで酔っ払った水兵達がピッタリ抱合って踊っているのを見た。其れから間もなくハイトとドンリンはボードビルの芸人になり、ブロードウェイに来て初めて「ターキ トロット」を踊った。その時の風情は腕を互いに巻きつけ、上体をピタリとつけ合ひ、上体をクネクネとさせていた。其後ターキ トロットは遂に白亜館にまで這入っていった。暫らくの間フォクスといふ人が之を単純化して今日のやうになほしたから或人はFox’s Trotと呼び、或人はFox Trotと呼んだ・・・・。
と申します。一方また北合衆国の理論家チャールス ジェー コル Charles J. Coll は1919年に「舞踏速成」といふ本を出版し、その中に、
私はヴァーノン・キャスル大尉がフォクストロットの開祖であり、且つ教師であることを信じる。彼はダンスの改革に対して常に留意する結果、特定の黒人クラブに注意を怠らなかった、或時彼は黒人が「フォクストロット」を踊っているのに注意を惹かれた。そして、このダンスは之の時既に「フォクストロット」と呼ばれていた。彼は之を携へ出て、よし大衆一般にうけないまでも少数のファンに之を伝えやうと決心した。
然し、キャッスル氏の礎石を据えたこのフォクスはダンス界の王者として君臨するやうになってしまった。しかし、当時のフォクスは初めから終わりまでただ跳ね回るばかりであったから私は当時フォクストロットなんどはぢき亡びてしまふ踊だと予言したことを茲で恥を忍んで白状しなければならない。云々
と記して居ります。
ヴァーノン・キャスル大尉 Captain Vernon Castle は北米合衆国の飛行大尉で20世紀初頭に於るダンス界の権威であり、大戦前のダンス爪先で立ってピョコピョコと飛んで歩いて居ったのを、踵を落として床をすべるやうに改革した現代ダンスの先覚者です。ワンステップも氏が改革して「Castle Glide」又は「Castle Walk」と改めたり、フォクストロットを黒人から採って改良したり、社交ダンスにとって此ほど大きな仕事を残した人は古今往来又と他に無い人ですが、惜しいことに世界大戦に参加してフランスで戦死して了った。どうせ事物の起源といふものはずっと後になって考へるもので、鳥の雌雄と同じくどれが真やら偽やら判然と定める事は困難ではあるが、当時に於るキャスル氏の地位、又氏が極力このダンスの伝道に努力した点から見て、フォクストロットの開祖を氏と決定することが最も穏当であらうと著者も考へるのです。
引用2 Dancing made easy, by Charles J. Coll and Gabrielle Rosiere
46ページから47ページ
While I have heard many versions of its origin, have listened to many of its self-styled originators, I have credited Captain Vernon Castle as its originator and preceptor. The story has it that on one of his quests for innovations his attention was called to a certain exclusive colored club. At the time he attended, the members were dancing the Fox Trot, even at that time so-called, and he became enthusiastic over it and determined to bring it out for a little fun for a few, hardly realizing that the dance was to win for itself a high place in the favor of the many.
But this fox that Mr. Castle cornered was a mighty wild one indeed. The writer confesses to being one who predicted its early demise. It was one continuous romp from beginning to end and he felt that it would hardly survive a hard summer and be with us when he returned to his classes in the fall. One never can tell; it did, it was, it will be!